『除虫菊神社』とは
蚊取り線香の発明者が人神として祀られている神社
『除虫菊神社』とは広島県尾道市の向島にある神社。ここは、除虫菊そのものが祭祀対象ではなく、その花に関わったある人物が人神として祀られている。その人物とは、蚊取り線香をはじめとする害虫駆除剤などの製造・販売で有名なKINCHOこと、大日本除虫菊株式会社の創業者、上山英一郎(1862〜1943年)である。




なぜ、瀬戸内の離島にこのような神社がひっそりと建てられているのか。そこには、英一郎が抱いていた産業界への貢献意識、貧しい農家の救済などといった志と信念が関係していた。
上山英一郎と除虫菊との出会い
1862年、和歌山県有田市の蜜柑農家に生まれた英一郎。早くから西洋への関心と、家業を継がず自身で一旗揚げたいと考えていた英一郎は、16歳で上京し英語を学び、その後福沢諭吉が設立した慶応義塾で薫陶を受けた。そこでいかに外国と渡り合うかという教えを受けた英一郎だったが、その矢先に脚気を患い帰郷することになる。
帰郷後、実家の蜜柑を外国へ輸出しようと考えた英一郎は、1885年1月に「上山商店」を創業(のちの大日本除虫菊株式会社)。その翌月、福沢諭吉からの紹介で、アメリカ・サンフランシスコの植物輸入会社社長のH・E・アモアが英一郎のもとを訪れる。そこで日本の蜜柑に感銘を受けたサモアに英一郎は苗を渡した。
翌年、帰国したサモアから苗のお礼としていくつかの種子が英一郎のもとに送られた。その中のひとつが除虫菊の種子であり、これが英一郎の運命を大きく変えることとなる。
殺虫剤の原料として除虫菊栽培の産業化を目指す
同封されていたサモアの手紙によれば、除虫菊は荒れた土地でも咲き、海外では殺虫効果があることでもよく知られていたという。そして、アメリカではこの栽培で巨万の富を得た者もいたという。もし本当なら、日本の貧しい農家の副業として生計を支えられる。英一郎は早速自身でも、除虫菊の栽培と研究を行うことにした。
1887年、もらった種子の実験栽培と殺虫効果のある除虫粉の製造に成功した英一郎は、全国各地に赴き除虫菊の有用性を訴えるため、講演や農家への訪問を行い栽培の奨励を行った。ところが、まだ知名度のない除虫菊に対する保守的な農家の反応は芳しくなく、受け入れてもらえないことが多かった。そのような状況下でも英一郎は、除虫菊がもたらすものがひいては日本を発展させると信じ、熱心に普及に励んだ。その甲斐あって、徐々に栽培する農家が増えていった。
その後英一郎は、除虫菊からノミ取り粉への加工にも成功する。これを輸出すれば貿易産業として活路を見出せると考えた英一郎は、栽培手引書も発行するなどして、更に各地に赴き普及活動を行った。それにより栽培農家が増加し、量産化への道が見え始めた。
蚊取り線香の開発に成功
ノミとともに悩まされてきた害虫の代表が「蚊」である。だが、ノミ取り粉の散布などでは蚊には効果なしだったため、英一郎は蚊の駆除に役立つ製品の開発も必要であると考えた。
古来より日本では、蚊遣り火という杉やヨモギ、カヤの草花木などを火にくべて、燻した煙で蚊を追い払っていた。そこに着想を得て、火鉢に粉を入れ燻してみたが、この方法では大量の煙や灰が飛散し実用的とは言えなかった。
1888年、英一郎は滞在先の宿で線香屋と知り合ったことで、除虫子粉を仏壇の線香のように成形することを思いつく。まずは試作として、粉末と糊粉を混ぜたものを竹筒に入れ乾燥させてみたが、この方法では効率が悪く量産化にはほど遠かった。
次に、会社の従業員を線香職人の元に送り込むが、長い修業期間を要することなどから成果は得られなかった。そこで方向転換し、線香職人を会社に雇い入れることを発案。そうして集まった職人の助力もあり、1890年に世界初の棒状の蚊取り線香が開発された。しかしこの形状では細いため燃焼時間が40分程度と短く、殺虫成分のある煙の揮散量も一本では少なく、一度に2〜3本焚く必要があるなどの欠点から、改善の余地が多くみられた。
一方で1892年、英一郎の活動は大阪朝日新聞をはじめとする各メディアで全国的に取り上げられたことで世間の注目を集め、除虫菊の種苗の注文が殺到するようになっていった。
1895年、英一郎の妻・ゆきから、従来の棒状から渦巻き型に変えるアドバイスを得る。渦巻き型ならより折れる心配もなく長時間の燃焼と揮散量のアップが可能となる。英一郎は、そのアドバイスを元に改良することにした。だがその製作工程も一筋縄ではいかず、試行錯誤する時間が長く続く。そして7年後の1902年、ようやく渦巻型蚊取り線香が開発・販売された。
上山英一郎と除虫菊のその後
除虫菊相場の暴落と外国への販路拡大
1903年、全国的に普及した除虫菊が大豊作となった。その結果、相場は暴落したが、英一郎の会社は農家との最初の契約通りの買い付け金額を続けたため、倒産の危機を迎えていた。そこで、今こそ外国に目を向け輸出するべきと考えた英一郎は、当時海外貿易をするにあたって必要だった外国商館を巡り直接話をつけにいった。
しかし、明治時代の開国したばかりの日本では欧米の方が気位が高く、紹介状無しで飛び込み営業する英一郎の話を聞いてくれる商館はなかったという。だが、1904年に始まった日露戦争が大きな転換点となる。1894年に起きた日清戦争では戦死者よりも疫病による死者が多かったという話を聞いていた英一郎は、軍に除虫菊粉を寄付する。すると軍から改めて、除虫菊が大量発注された。このとき、暴落した相場の影響で多くが除虫菊を手放していたことで、英一郎に注文が集中する形になり価格も大きく上昇した。
更にこの年、ヨーロッパの除虫菊が大凶作となったことで、外国商館からも注文依頼が届くようになり、結果として世界へ販路拡大が出来るようになったことで倒産の危機を脱した。その後、除虫菊の輸出量において日本は当時世界の中でもトップクラスを誇るまでになるなど、外貨獲得という形でも日本経済に大きく貢献した。
生きながらにして神となる
1930年、除虫菊の一大産地であった広島をはじめ、岡山・愛媛・香川といった瀬戸内の農家たちの発案により除虫菊神社が、向島にある亀森八幡神社の境内に建立された。そこで祭神として祀られたのが英一郎である。当初英一郎は、農家たちからの神社建立と祭神としての提案に対し、まだ存命中であったため渋っていたが、その熱意に了承し、生きながらにして人神として祀られることとなった。





また、同じ尾道の本州側にある千光寺公園には、英一郎のレリーフをはめ込んだ「頌徳碑」がひっそりと建てられている。




観光資源となった除虫菊
第二次世界大戦前までは盛んに栽培され輸出された除虫菊も、戦後は除虫菊の殺虫成分を化学合成したものが開発され、産業としての栽培は衰退し行われなくなった。
現在は因島で観賞用としての栽培が継続されており、島内の主要な観光資源のひとつとして今も広く愛されている。これは瀬戸内の中でもかつて因島が大きな作付面積を誇り、また市町村合併される前の1983年に、市花として除虫菊が指定されていたことに起因している(2006年からは因島は尾道市となる)。




終わりに
日本が世界に誇る産業の功績と未来へのヒントを感じ取れる神域
2013年、金鳥の蚊取り線香やその後開発された殺虫剤などに関する資料が国立科学博物館が選定する「重要科学技術史資料」に登録された。また2017年には、日本化学会が認定する「化学遺産」にも、そうした一連の資料に加え、日本初のエアゾール製品であるキンチョールなども登録されるなど、KINCHOの製品は歴史的価値としても高い評価を受けている。
そしてその製品たちは、今も日本のみならず海外でも広く愛されている。特に東南アジアやアフリカではその高品質さから重宝されており、お土産で持っていくと大変喜ばれる。熱帯の国は虫の量が多いため、実際に殺虫剤を焚いたり撒いたりすると、日本の比ではないほどに恐ろしくボトボト殺虫される。実際にその様子を見たときは衝撃的であった。
一方で、自社製品が多くの虫を殺していることから、害虫駆除剤の関連団体が加盟している日本家庭用殺虫剤工業会では、1973年より毎年1月に虫慰霊祭というものが開催されている。
ゼロから創り上げた偉大な発明者の功績を讃える人神神社、「除虫菊神社」。ここに参れば、先人の慧眼に触れ、次の先駆者となれる何かの啓示を授かることが出来るかもしれない。

主な参考資料
- 原静村“非常時日本と人物(国立国会図書館デジタルコレクション)”, 南海新聞社, 1935年.
- 内山幸久“III 因島市における商品作物生産の特徴”, 立正大学人文科学研究所年報 別冊, 第5号31-43, 1985年.
- 御前明良“除虫菊の栽培史と蚊取線香 その 1”, 和歌山大学経済学会, 第306巻85-106, 2002年3月1日.
- 公益社団法人 大阪府工業協会“人々の快適な暮らしと国の発展を目指して、貿易立国に尽す”, 創業者偉人伝第36回, 2018年6月.
- 公益社団法人 日本化学会“認定化学遺産 第041号『日本における殺虫剤産業の発祥を示す資料』”(アクセス日:2025年4月30日) .
- 一般社団法人尾道観光協会 おのなび“亀森八幡神社”, 2020年5月12日(アクセス日:2025年4月30日).
- いんのしま観光なび“除虫菊”,(アクセス日:2025年4月30日).
- ひろしま文化大百科“因島の除虫菊”,(アクセス日:2025年4月30日).
- 和歌山県文化情報アーカイブ“上山英一郎”(アクセス日:2025年4月30日).
- “KINCHO・大日本除虫菊株式会社 公式サイト”(アクセス日:2025年4月30日).
- “日本家庭用殺虫剤工業会 公式サイト”(アクセス日:2025年4月30日).
- NPO法人 科学映像館を支える会“映画『この一筋の煙に 大日本除虫菊中央研究所』 ”(アクセス日:2025年4月30日).
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