大石神ピラミッド/キリストの墓 – 郷土愛と偽文書がもたらした神秘の観光政策

『大石神ピラミッド』とは

エジプトのピラミッドよりも古い起源だという巨石群

『大石神ピラミッド』とは、1935年に青森県三戸郡の戸来村(現・新郷村)で、画家の鳥谷幡山によって発見された巨石群のことである。鳥谷によればこの巨石群は、エジプトのピラミッドよりも更に古い、数万年前の遺跡であるという。

『新郷村史』によれば、この辺りの巨石は元々「お石神」と呼ばれ、昭和初期までは雨乞いの霊場であったという。1934年、とある調査で戸来村を訪れた鳥谷は、そこで見た方位石やドルメンなど数々の奇岩を見て、ここが太陽信仰の遺跡であることを確信した。そして1935年5月、青森の地元紙である『東奥日報』でその調査結果を発表した。

だが、一般的によく知られる、エジプトのピラミッドとの形状とは大きく異なる。なぜ、これがピラミッドだというのか。そして、遺跡だという根拠は一体何なのか。鳥谷がそのような結論に至った背景には、同時期に興ったある新興宗教とその聖典、そして一人の宗教家が大きく関係している。

正史より古い歴史が書かれた古文書『竹内文書』

1900年(1910年とも)に竹内巨麿が茨城県で興した新興宗教「天津教」。そこで聖典とされていた古文書群『竹内文書』。竹内文書には、『古事記』や『日本書紀』より古代の、真の日本の歴史が神代文字(漢字伝来以前の文字)で書かれているとされている。一例として、初代天皇である神武天皇より古代に、100代に及ぶ神々が天皇として君臨していたという。このような、正史とは異なる歴史史料を古史古伝という。
その文書群がいつしか漢字仮名交じりで翻訳され、更にそれらを竹内の祖先が書き写し残した。これが竹内文書の成立背景とされている

一方で竹内は、養父が南朝忠臣の末裔であったとも称していたことから、天津教の文書や宝物には古代のものだけでなく、南朝関係のものも含まれており、それらを度々名士たちに拝観させていた。そのため、天津教成立初期は、古史古伝の発信に大きく偏ったものではなかったという。しかし昭和に入り、酒井勝軍という人物が竹内と関わったことで、宝物や文書の内容は徐々に変容していく。

竹内文書に影響を与えたもの、与えられたもの

日ユ同祖論者、酒井勝軍が最初に見つけた日本のピラミッド

キリスト教伝道者であった酒井勝軍は、若い時の留学経験で得た語学能力を新渡戸稲造に買われ、日露戦争を観戦する外国武官の接待係として従軍する。そこで見た実戦や、その後も様々な国へ派遣された経験から、徐々にキリスト教とは違う思想を持ち始める。

1918年、シベリア出兵の際に反ユダヤ主義を知り、それを日本に紹介する。当初はそれに影響を受け自身も反ユダヤ的であったが、次第に日本とユダヤとの間に繋がりを感じ始め、親ユダヤ的な思想に変わっていく。そして1927年、パレスチナやエジプトに派遣されたことでその思想を強めた結果、酒井は日ユ同祖論者(日本人はユダヤ人の子孫という説)となる(久米晶文『酒井勝軍「異端」の伝道者』Gakken、2012年)。

また酒井は、派遣先のエジプトでピラミッドの実物を目にした。しかし、日ユ同祖論の思想を強めていた酒井は、ピラミッドの起源は日本にあり、むしろ日本のものがエジプトに伝わったと主張した。

帰国後酒井は、1934年に、梅田寛一という代議士から広島県庄原市にある葦嶽山に古代文明の跡があるとの話を聞き、現地に赴き調査。その山頂で直径約3mの太陽石とストーンサークル(これらは今はない)、そして巨石群を発見した。酒井はこれらの証拠から、かつてここには太陽神殿があったと断定(伊集院卿、大平光人『日本ピラミッド超文明』1986年)。

酒井によれば、本来ピラミッドは三角形の「自然の山」に、石や土を積み上げるものだと主張している。エジプトのものは砂漠という地質上の理由から、石材で人工的に山を建造したのだという。

しかしながら、これら酒井の主張には学術的証拠がない。だが、自論を確信していた酒井は、それを裏付ける記録がどこかの文献に書かれていないかと探し求めた。そこで、正史より古い歴史が書かれているという竹内文書を頼りに、竹内のもとを尋ねた。

見つかったピラミッド日本発祥説の証拠

実は一度酒井は、葦嶽山調査前の1929年にも竹内を尋ねており、そのときもピラミッド日本発祥説の根拠となるものが天津教にないか、調査を依頼していた。しかし、そのときは何も見つからなかったという。

だが葦嶽山の調査後、酒井は竹内を再訪し、竹内文書に日本発祥とする記述がないか、もう一度調査を依頼した。それを受けて竹内は、未開封だった文書も含め改めて調査した。すると、ある文書に世界最古のピラミッドが日本にあることを示す記述が見つかったという。これを契機に酒井は、日本中にあるピラミッドだったとされる山を、次々と発見していく(酒井勝軍『太古日本のピラミッド』知玄舎、2020年)。

ちなみに酒井は、モーゼの十戒が刻まれた「十戒石」も日本にあるはずと考えており探していた。これについても竹内に尋ねたところ、十戒石やそれを示す文書、その後もキリストの渡来記録などといった驚愕の代物が教団から見つかったという。

もちろんこれらが本当であれば世界史がひっくり返る事態だが、未だそのような話は一般的ではない。なぜなら竹内文書は、昭和初期に狩野亨吉、山崎鐵丸らによる指摘によって、史料としては偽文書とされ、学術的価値は皆無となっているからだ。また、酒井の再訪後に竹内から見つかったというのも、酒井の話に合わせて後から作成したからだったという。そのようなことを繰り返すうちに、教団の文書や宝物の内容が、南朝系から古代関連へと比重が大きくなっていったのではないかという。

このように、何とも怪しげな背景を抱えた教団ではあるが、こうしたものには熱狂的な支持者がつきやすい。鳥谷もその一人であった。加えて実は、1929年に酒井が竹内を尋ねた際、同行者に鳥谷もいた。酒井と鳥谷の最初の出会いがいつなのかは定かではないが、竹内訪問後に両者は親交を結んだという。また鳥谷は、酒井の葦嶽山調査にも同行しており、そこでの体験が影響を与えていた。

そして後年、鳥谷は戸来村で『大石神ピラミッド』を発見する。また、発見後の1935年8月には、鳥谷は竹内を含む数人とともに再度戸来村一帯を訪れている。そこで、今やオカルト界隈では一大スポットと化している『キリストの墓』なる場所も発見した。

『キリストの墓』の発見

鳥谷・竹内一行は戸来三嶽神社に参拝後、長峰集落にある墓所館に向かい、そこで「2つの丸塚」を見た。移動し、次に「お石神」を見た一行は、そこから北側にある柿ノ木平という場所にまた移動。竹内は、そこにあった大きな盛り土を見て何かを感じ取ったのか、その盛り土に「統来祊神」という目標を立てること。そして、先の墓所館にあった「2つの丸塚」には「十来塚」と書くようにと言ったという。竹内の、この一連のやり取りからどのようなインスピレーションを受けたのか、鳥谷は戸来村がキリスト終焉の地であることを悟った(一方で竹内は、後日行った迷ヶ平での調査では、十和利山こそ日本最初のピラミッドであると述べたという)。ここで初めて、鳥谷によって戸来村がキリスト終焉の地という説が誕生した。

この「十来塚」が後のキリストの墓となっていくのだが、この時はまだ、弟・イスキリの墓とされる「十代塚」の名は出てきていない。また「お石神」という名称も、今では『大石神ピラミッド』となっている。一体どの段階で変化したのか。

現地調査の後の1935年10月、天津教はとある祭典を行ったのだが、ここで竹内は竹内文書から「キリストの遺言状」が発見されたと公表した(ある意味、鳥谷の戸来キリスト終焉の地説を裏付けた)。このときの文書ではまだ、キリスト及びイスキリの墓は、「十来墓(十来塚)」となっていた。

しかしその後、竹内文書に影響を受けた女性ジャーナリスト山根キクの著書、『光りは東方より』(1937年、日本と世界社)が、現在の認識に至るきっかけとなる。山根は著書内にて、墓はキリスト=十来塚、イスキリ=十代塚であると記したことで世間に広まるようになった(なお鳥谷は、まるで自分が発見したかのように公言した山根に呆れていた)。

ちなみに山根は同著書内にて、石川県の宝達山には、古代イスラエルの指導者、モーゼが葬られているという、これまた突飛な主張もしている。

このような話が一部の界隈で盛り上がるのはよくあることだが、今や自治体がこの伝説を積極的に広報しており、観光客にも人気となっている。なぜ戸来村のピラミッド・キリスト伝説はここまで根付いたのか。実は、そもそも鳥谷が戸来村を現地調査した理由、それこそが地域振興のためのネタ探しであったからだ。

地域振興策を探す中で突然生まれた奇譚な歴史

十和田国立公園の指定と外れた戸来村

昭和初期、アメリカの国立公園制度に倣って、日本でも風景地の保護と観光資源化の機運が高まり、候補地の調査が全国的に進められていた。青森でも、十和田湖が国指定を受けるための誘致運動が官民一体となって行われていた。その結果、1936年2月、十和田湖一帯が十和田国立公園(現・十和田八幡平国立公園)として指定された。この指定に先立ち、青森では観光客を受け入れるための道路や路線整備がなされていた。しかし、八戸から五戸を経て戸来村を経由するルートは、十和田の観光路線の整備から外されることになった(その後、1965年に八戸から五戸経由、十和田湖線のバスが開通する)。
こうなると、観光客が戸来村へと訪れる可能性は低くなる。そこで、当時戸来村の村長・佐々木伝次郎は、戸来村と十和田湖を結びつけアピールできる地域振興策を図ることにした。そこで招集したのが鳥谷であった。青森出身で、若くして画家として評価されていた鳥谷だが、その傍らで行っていたのが十和田湖の顕彰活動であった。鳥谷にとって十和田湖は、自身の原点なる風景であり、また神秘を感じる場所であった。

佐々木の求めに応じた鳥谷は、1934年10月、まず戸来村の迷ヶ平へと調査に向かった。理由としては、迷ヶ平が十和田湖の外輪山の一つ、十和利山の山麓に位置していることから、佐々木がぜひ紹介してほしいと頼んだためである。しかし、天津教に影響を受けていた鳥谷は、迷ヶ平で見た素晴らしい景色に、竹内文書にあった古代の神都を重ね、ここがその場所であると感じた。

そして迷ヶ平の調査後、鳥谷は「お石神」に向かいピラミッドを発見した。その後鳥谷は、前述のように、竹内らを招集し、改めて戸来の一帯を調査した。この時竹内も、迷ヶ平こそ、竹内文書に出てくる古代の神都「眉ヶ平」のことであると述べたという。そして戸来村は、この後山根キクの著書によって、ピラミッドやキリストの墓、神都迷ヶ平を抱える神秘の村として広まることとなる(ただし、山根は迷ヶ平をエデンの園と主張しており、竹内らとの見解とは異なる)。その結果、当初の十和田湖に関連した地域振興という、佐々木の思惑とは違った方向へと進んでいくこととなる。

観光地化したオカルト伝説

あまりに荒唐無稽な話であるので、一部の好事家には注目されていたものの、基本的に地元の人々は鳥谷、山根らの主張に冷ややかであったという。しかし、1955年7月29日、戸来村、野沢村西越区域が合併し新郷村となって以降、その風向きは変わっていく。

1964年、東京オリンピックで日本が沸く中、新郷村も振興のために観光協会が設立された。そして10月のオリンピック開催に先駆けて6月7日に、今では村の一大イベントとなっている「キリスト祭」の第一回が開催された。開催に至った経緯としては、オリンピックという熱気の中で、新郷村にも世界に発信できる古代のロマンがあるということで盛り上がったためであるという。とはいえ当時、新郷村にはキリスト教の信者はいなかった。そこで、三嶽神社の細川多門宮司が主導して執り行ったという。

1970年代になると新郷村、特にキリストの墓は、オカルトブームによってメディアで取り上げられ大きな注目を集めるようになる。そしてキリストの墓一帯は「キリストの里公園」として整備され、1996年には「キリストの里伝承館」が開館し大きく観光地化することとなった。

現在、キリスト祭はこの公園内で毎年6月に開催されており、2025年で61回という恒例行事となっている。回を重ねるごとに来場者は増しているようで、2025年は500人も来るなど盛況とだという。このためにシャトルバスがでたりするなど、今や村の重要な観光資源と化した。また、近年はオカルト雑誌「ムー」を始めとするコラボレーション展開も盛んである。

終わりに

本来の構想から外れたが結果良しな、愛されトンデモ偽史

奇説が飛び出した同時期、新郷村は、南北朝時代の南朝側、長慶天皇(在位1368~1383年)の陵墓の候補地としても注目を集めていた。その後、政府主導のもと調査が行われたが確定的な証拠は見つからず、1944年に宮内庁は、京都府の嵯峨東陵を一先ずの決定とした。激動の時代を生きた長慶天皇の史料は未だ不十分で、伝承地は青森以外にも全国各地に100か所以上存在するという(元々長慶天皇は、1926年の研究結果で在位の実在性が認められるまで疑問視すらされていた)。

そんな謎多き天皇の陵墓伝説というのも十分ロマンがあるが、オリンピックに沸いた時代を考えると、観光資源としては、よりインパクトのあるものが欲しくなるのかもしれない。結果として現在、長慶天皇伝説は、ピラミッドやキリストの墓に比べると少し影の薄い印象がある(2016年からは毎年8月末に長慶天皇慰霊祭も行われているのだが)。

2016年に新郷村が策定した「新郷村 まち・ひと・しごと創生総合戦略」内でも、「キリストの墓や大石神ピラミッドといった観光資源をPRし、もてなしの取り組みを推進することで、交流人口を拡大していきます。」としており、2020年の「第2期新郷村 まち・ひと・しごと創生総合戦略」でも、同様の方向性で更に体制強化を図るとしている。

当初の十和田湖との関係性は切り離され、鳥谷の伝説発想の源となった竹内文書も、偽文書となり史料の価値はない。本来なら歴史の片隅に追いやられるのが通例かもしれない(もしくはオカルトとしてひっそりと)。しかし、ピラミッドやキリスト伝説は、偽史と認識した上で楽しむエンタメコンテンツとして、今や大きく変貌を遂げた。そんな異例の変遷に思いを馳せながらこの地を訪れてみると、また味わい深い体験が出来るかもしれない。


主な参考資料

  1. 酒井勝軍“三千年間日本に秘蔵せられたるモーセの裏十誡”,国教宣明団出版,1929年..
  2. 鳥谷幡山“十和田湖を中心に神代史蹟たる霊山聖地之発見と竹内古文献実証踏査に就て併せて猶太聖者イエスキリストの王国(アマツクニ)たる吾邦に渡来隠棲の事蹟を述ぶ“, 新古美術社, 1936年.
  3. 山根キク“光りは東方より”,日本と世界社,1937年..
  4. 伊集院卿、大平光人“日本ピラミッド超文明“, 学習研究社, 1986年.
  5. 原田実“トンデモ日本史の真相”, 文芸社, 2007年..
  6. 久米晶文“酒井勝軍「異端」の伝道者”, Gakken, 2012年.
  7. 酒井勝軍“太古日本のピラミッド”, 知玄舎, 2020年.
  8. 原田実“偽書が揺るがせた日本史”, 山川出版社, 2020年.
  9. 川内淳史“観光・郷土史・「偽史」 : 一九三〇年代青森県三戸郡戸来村「キリスト涌説」の位相”, 昭和のくらし研究No.20(2022年3月刊), 5-30, 2022年3月.
  10. 吉村風“「偽」をつきあい活かす民俗-米原市世継集落の「伝承の活用」をめぐって”, 日本民俗学会 第74回年会 口頭発表, 2022年10月2日.
  11. なびたび北東北“第1回キリスト祭、開催は「東京五輪きっかけ」/新郷、6月2日に第60回”, 2024年5月24日(アクセス日:2025年9月10日).
  12. デーリー東北デジタル“90年目の「キリストの墓」 伝説誕生の背景は/新郷”, 2025年5月31日(アクセス日:2025年9月10日).
  13. VISIT HACHINOHE“大石神ピラミッド”, (アクセス日:2025年9月10日).
  14. VISIT HACHINOHE“キリストの墓/キリストの里伝承館”, (アクセス日:2025年9月10日).
  15. 新郷村“新郷村 まち・ひと・しごと創生総合戦略”, (アクセス日:2025年9月10日).
  16. 新郷村“第2期新郷村 まち・ひと・しごと創生総合戦略”, (アクセス日:2025年9月10日).
  17. 新郷村“大石神ピラミッド”, (アクセス日:2025年9月10日).
  18. 新郷村“キリストの墓”, (アクセス日:2025年9月10日).
  19. 新郷村“新郷村の歴史”, 2017年3月3日(アクセス日:2025年9月10日).
  20. Amazing AOMORI 青森県観光情報サイト“大石神ピラミッド”, (アクセス日:2025年9月10日).

関連記事

特異点紀行をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む