仙台四郎 – 期せずして福をもたらした霊験あらたかな人神

『仙台四郎』とは

商売繁盛をもたらす、実在した福の神

『仙台四郎』とは、江戸時代末期から明治時代にかけて、宮城県仙台市に実在した人物(本名は芳賀四郎、芳賀豊孝とも)。現在は、同じ仙台市にある三瀧山不動院にて人神として祀られている。

仙台四郎は、知的障害のため上手く会話が出来ないことから「しろばか」(しろは四郎、または白痴からとも)と呼ばれていたが、温厚な性格でいつも笑顔なことから親しまれていたという。どうしてそのような人物が神として、後世にまで伝え残っているのか。それは、彼が不思議な力で商売繁盛をもたらしたと言われているためである。

生前、仙台四郎が店を訪れると自然と客を呼び込み、賑やかになったと言われている(逆に彼が見向きもしない店は潰れたとも)。更には、彼が抱いた子どもは丈夫に育つといった話なども仙台を中心に囁かれていた。こうした話に加え、逸事・珍事(車に乗ったら乗客ごと真っ逆さまになった、ボロボロだった四郎の着物を見かねて娼妓が拵えたなど)を、仙台新聞や仙台日日新聞を始めとする地元新聞が報道するなど当時話題の人物であった。そんな仙台四郎は、1885年に行われた、仙台が誇る戦国武将、伊達政宗の没後二百五十年祭では出車の先導を務める大役を任されている(『仙台日日新聞』1885年5月27日)。

その後仙台四郎は、1902年頃に47歳で、現在の福島県須賀川市で死去したとされているが、諸説あり定かではない。

仙台四郎の福神化

人智を超えた能力を持っていた仙台四郎。しかし実は、存命中は現在のように「福の神」として信仰を集めていたというよりは、町の人気者という側面の方が強かったという。仙台四郎が「福の神」として祀られ、本格的に信仰されるようになるのは、どちらかというと死後のことになる。

1917年、仙台にあった千葉写真館の千葉一という人物が、生前撮影した仙台四郎の写真を、「店に飾れば商売繁盛のご利益がある」と謳い絵葉書にして売り出した。この時「明治福之神 仙臺四郎」と銘打ったことで、人々から「仙台四郎」と広く呼ばれるようになった。これを契機に仙台四郎は、写真を始め肖像画、置物などあらゆる形で飾られ、人神として偶像化されるようになっていった。なお、仙台四郎を捉えた写真はこの一枚のみである

そしてここから、仙台四郎は、時に流行神としてブームを起こしながらも、民間信仰として現代にまで受け継がれていくようになる。

民間信仰として広がり定着する「仙台四郎」

仙台四郎の発展と流行神としてのブーム

仙台四郎が広く知られるようになった過程について、粟野邦夫氏によれば1882年から1993年までの間で以下の5期があるという。

  • 第1期 1882~1917年
    新聞での報道や、死後の写真公開と「仙台四郎」という命名、絵葉書の展開など。
  • 第2期 1918~1919年
    仙台の地元の人たちの経歴や功績を紹介した『仙台人名大辞典』(歴史図書社、1974年)に掲載される。
  • 第3期 1935~1980年
    新聞、雑誌を始めとするマスメディアに「福の神」として取り上げられる。
  • 第4期 1986~1993年
    新聞、雑誌に加え、テレビも取り上げるようになる。三瀧山不動院に仙台四郎のポスターが奉納される。
  • 第5期 1993年~現在まで
    再度メディアでの多くの報道に加え、三瀧山不動院が「仙台四郎安置の寺」として定着する。

なお黄緑萍氏は、1986年までは、粟野氏が分類した各期における受容の実態について、信仰の広まりというよりは、仙台の風物としての注目であったと指摘している。その上で黄氏によれば、信仰の広まりという観点では、1986年以降に以下3度のブームがあったという。

  • 1回目のブーム 1986年
    三瀧不動院での仙台四郎への祈祷や、商店街でのグッズ販売(色紙、暖簾など)。またNHK 仙台は、「セピア色の福の神 -謎の名物男・仙台四郎-」という番組を放送するなど高まりを見せた。しかしこのブームは2、3年で去り、仙台四郎の影響も県内のみに留まったという。
  • 2回目のブーム 1993年
    この年の5月、朝日新聞社の雑誌『アサヒグラフ』(5月7・14日号)で『東北の不思議番外編「謎の福の神!?仙台四郎を追う」』という特集が組まれた。日本テレビの番組「ルックルックこんにちは」でも仙台四郎が全国放送で取り上げられた。これに伴い、仙台市の観光課や三瀧不動院へ問い合わせが多く寄せられたという。また同年5月27日の『河北新報』でも紹介されたことでグッズは全国的に流行し、商店に限らず一般家庭にも広がるなど、その人気が急上昇した。
  • 3回目のブーム 1995年
    きっかけは1994年に、仙台市青葉区にある樹齢100年程のイチョウの木に、仙台四郎を描いた紙が4枚貼り付けられていたことにある。そのことを同年8月15日に『河北新報』が報じたことで、その木に仙台四郎を祀る行為(写真を置く、祠を建てるなど)が盛んとなった。仙台四郎とは全く無関係な木なのだが、「仙台四郎手植えの銀杏」として一時的に御神木扱いされるなど、ちょっとした騒ぎとなった(最終的にそれらは全て撤去された)。

今なお信仰され続ける仙台四郎

黄氏は、3度のブーム後から現在に至るまでを安定期と捉えている。なお、この安定期では明確なムーブメントはないものの、2002年から仙台初売りのメインキャラクターとして、仙台商工会議所は仙台四郎を起用。他にも、クリスマスには商店街のアーケードに、バルーンで制作したサンタクロース姿の仙台四郎を掲げた。他にも、仙台における演劇や音楽の普遍的な題材として定着するなど、今や仙台の代表的存在の地位を確立した。

こうしたハヤリ・スタリを越えて、今でも多くの人々に親しまれているのは、数ある流行神現象の中でも際立っている。流行神の先行研究者の一人、宮田登氏による流行神の規定では、「一時的に熱狂的な信仰を集め、その後急速に信仰を消滅させる」こととしている。また流行る背景には、社会不安や変動などからの救済、つまりメシアニズムが大きく関係しているという(東京都の太郎稲荷神社はその最たる例である)。この宮田氏の論は、今日の流行神というものに対する一般的な認識となっている。

ところが仙台四郎においては、数度のブームの度に廃れることなく、むしろ根を太くするように根ざしていった。加えて、ブームの背景が、社会情勢とあまり関係していないケースも度々ある。恐らく、神でありながら実在の人物として「像」が知られている点、その像が愛嬌を持っている点、そして多様なコンテンツ展開がされている点が、救世主としての役割に加え親近感ももたらした。その結果、流行神としては異例の、息の長い信仰の獲得に繋がったのかもしれない。

加えて、日本では知的障害のある子どもを、福をもたらす神とみなす「福子信仰」がある。これも、仙台四郎が生前から愛され、その後も廃れず生き残ってきた要素の一つかもしれない。

まれびと、神の子としての聖化

障害者が神となる物語は、実は古来より存在する。日本人にとっても馴染み深い、『古事記』の国生み神話に登場する「ヒルコ」はその最たる例である。ヒルコは、イザナギノミコトとイザナミノミコトとの間に生まれた最初の子として知られているが、同時に不具の子、即ち障害を持って生まれたとされている。ヒルコは3歳になるまで自分の足で立てず、その後船で流された。そして流れ着いた先で、七福神として有名な「えびす」という福の神、漁業の神として祀られるなどした。このように、海の向こうから辿り着いたものに豊穣や幸福を祈念することを「えびす信仰」という。

「福子信仰」は、このえびす信仰に重なる発想からの信仰形態ではないかという。異なる特徴を持つ子どもに対して忌避せず、むしろ別の世界からもたらされた「福」と捉え歓迎することで、一家繁栄を祈る。生前の仙台四郎に神を見出した当時の人々も、そのような意識があったのかもしれない。

ちなみに、現代でも様々なところで見られる「福助人形」も、モデルとなった人物は身長二尺(約60㎝)で頭が大きい「水頭症」であったとされている。当時、そのスタイルが見世物として評判を呼び、福を呼び込んだという。福助人形は福を運ぶ縁起物として、今も会社や店先の棚などに飾る風習が残っている。

終わりに

次世代に維持・継承される、強くてニューゲームな人神

研究者の鈴木岩弓氏は、宮田氏の流行神に関する規定に大筋で同意しつつも、それだと流行神は、ハヤリの後にスタリがきて完了した(そして現在は廃れた)、過去の信仰現象・遺物に対して命名されることになるとして疑問を呈した。そして鈴木氏は、流行神を歴史学的研究としてではなく、現代学的研究として、即ちハヤリの渦中にある神の実態調査として、岡山県の「横樋観音」に関する言及で、1990年代に、宮田氏以降の流行神研究に新たなアプローチを加えた。だがその後、横樋観音は他と同じく、流行神としてのブームは完了し、今は地元の人々に大切にされながらひっそりと残されている。

その点、仙台四郎はあまりに特異である。人神として地元を中心に全国の人々に今も崇められながら、流行神としても何度もブームを起こす。そしてその度に、また新たな支持者を獲得し、ブーム終了後も廃れることなく、存在感を放ち続ける。

いずれまた来るかもしれない、仙台四郎が大きく注目されるときをリアルタイムで体験してみたいものだ。


主な参考資料

  1. 柳田国男“石神問答”, 聚精堂, 1910年.
  2. 宮田登“近世の流行神 (日本人の行動と思想)”, 評論社, 1972年.
  3. 村田典生“流行神:民間信仰におけるハヤリ・スタリとそのメカニズム”, 佛教大学, 2021年.
  4. 仙台市民図書館“「しろばか」について”, 要説宮城の郷土誌, 265-267, 1983年10月.
  5. 鈴木岩弓“「流行神」の誕生と霊験譚 : 横樋観音の場合”, 島根大学教育学部紀要第26巻, 143-152, 1992年12月.
  6. 山田厳子“子どもと富:〈異常児〉をめぐる〈世間話〉”, 国立歴史民俗博物館研究報告, 第54巻267-294, 1993年11月.
  7. 佐藤敏悦“仙台旧城下町に所在する民俗文化財調査報告書1(総括編)”, 仙台市文化財調査報告書第1巻, 第375号,2010年3月.
  8. 相澤譲治“障害児の「聖化」 ―福子の思想―”, 神戸学院総合リハビリテーション研究第8巻, 第2号11-18, 2013年3月.
  9. 黄緑萍“流行神研究序説:『郷土の伝承』に見られる信仰の諸相”, 東北文化研究室紀要第54巻, 2013年3月.
  10. 黄緑萍“宗教がどう生まれるのか―現代の「流行神」への試み―”, 東北大学大学院博士論文, 2015年1月.
  11. 劉建華“「人を神に祀る習俗」に関する宗教民俗学的研究”, 東北大学大学院博士論文, 2019年9月.
  12. 相澤雅文“知的障害のある者が「福の神」となることー 福助さん・仙臺四郎考ー”, 京都教育大学 総合教育臨床センター研究紀要第4号, 23-32, 2025年3月.
  13. 仙台四郎.jp”, (アクセス日:2025年8月16日).
  14. 三瀧山不動院”, (アクセス日:2025年8月16日).
  15. 仙台初売りドットコム“仙台初売りの移り変わり”(アクセス日:2025年8月16日) .

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