葦嶽山と巨石群 – 奇想の宗教家が発見した古代の聖地

『葦嶽山』とは

神武天皇陵説のある別名「日本ピラミッド」

『葦嶽山』とは、広島県庄原市にある標高815mの低山。登山道は初級と中級程度のコース分けがあり、程よく整備されてあるため登りやすい。

この山はどの方向から見ても三角形に見えるという神秘さから、地元では神武天皇陵説が伝承しているが、考古学的な証拠が出たわけではない。加えて、過去に一人の男がこの山の正体を2万3千年前の世界最古のピラミッドと発表したことで、現在に至るまで「日本のピラミッド」という愛称が広まっている。

『巨石群』とは

人工的に積み上げたようにもみえる岩々

『巨石群』とは、葦嶽山の中腹から山頂付近と、北側の尾根続きにある鬼叫山に密集している岩々の総称。それぞれ特徴的な造形と、人工的に積み重ねられたと見えなくもない様相から、これらは古代文明があったことを示す遺跡とされている。しかしこちらも同様に、それを裏付ける証拠はない。

なぜそのようなオカルト話が広まったのか

キリスト教伝道者 酒井勝軍による現地調査によって断定

1934年、キリスト教伝道者の酒井勝軍は、梅田寛一という代議士から葦嶽山に古代文明の跡があるとの話を聞き、現地に赴き調査。その結果、山頂で直径約3mの太陽石とストーンサークル(これらは今はない)、そして巨石群を発見した。酒井はこれらの証拠から、かつてここには太陽神殿があったと断定。そして葦嶽山は本殿で、巨石群がある鬼叫山は拝殿であるとした(伊集院卿、大平光人『日本ピラミッド超文明』1986年)。

にわかには信じがたい話だが、酒井はなぜそのような荒唐無稽ともいえる判断を下したのか。そこには、酒井の半生とそこで形成された思想が大きく影響していた。

酒井の生い立ちとオカルト的思想に至るまで

1888年、14歳のとき洗礼を受けキリスト教徒になった酒井は、神学校へ進みアメリカ留学をするなど勉学に励む。その後は、将来をキリスト教伝道者として志す予定だったが、留学経験で得た語学能力を新渡戸稲造に買われ、日露戦争を観戦する外国武官の接待係として従軍する。そこで実戦を目撃し様々な経験をする中で、徐々にキリスト教とは違う思想を持ち始める。

1918年、シベリア出兵の際に反ユダヤ主義を知り、それを日本に紹介する。当初はそれに影響を受け自身も反ユダヤ的であったが、次第に日本とユダヤとの間に繋がりを感じ始め、親ユダヤ的な思想に変わっていく。そして1927年、パレスチナやエジプトに派遣されたことでその思想を強めた結果、日ユ同祖論者(日本人はユダヤ人の子孫という説)となる(久米晶文『酒井勝軍「異端」の伝道者』Gakken、2012年)。

エジプトで見たピラミッドに影響を受け、日本にもあると主張

酒井は派遣されたエジプトで、ピラミッドの実物を目にする。しかし、日ユ同祖論の思想を強めていた酒井は、ピラミッドの起源は日本にあり、むしろ日本のものがエジプトに伝わったと主張し始める。

また酒井によると、本来ピラミッドは三角形の「自然の山」であり、そこに石や土を積み上げるものだと主張している。エジプトのものは砂漠というやむを得ない理由から、石材で建造したものだという。

偽文書『竹内文書』に日本ピラミッドの記録を求める

ピラミッドが日本発祥であるとの考えに至った酒井は、それを裏付ける記録がどこかの文献に書かれていないかと探し求める。そして1929年、酒井は宗教団体「天津教」の聖典、『竹内文書』と開祖の竹内巨麿のもとをあたる。なぜ竹内のもとをあたったか。それはこの文書には、『古事記』や『日本書紀』より古代の日本の歴史が書かれているとされているからである。しかし訪問時は、それに値する記述はみられなかったという。

その後行った1934年の現地調査で見つかった巨石群から、葦嶽山が日本ピラミッドであると確信した酒井は、再び竹内巨麿のもとを尋ね『竹内文書』の記録調査を再依頼。そこで竹内は、未開封だった文書含め改めて調査した。するとそこに、世界最古のピラミッドを示す記述が見つかったという。

この証拠を契機に酒井は、日本中にあるピラミッドだったとされる山を、次々と発見していく(酒井勝軍『太古日本のピラミッド』知玄舎、2020年)。なおこのとき、モーゼの十戒が刻まれた「十戒石」や、キリストの渡来記録なども同文書から発見されている。

しかし『竹内文書』は現在、史料としては偽文書とされている。そのため、葦嶽山が世界最古のピラミッドという話は史実ではない。また、ピラミッドの証拠含め見つかった文書は、酒井の話に合わせて竹内が作成したものだったという。

ちなみに、以前私が撮影した『伝説の森公園 モーゼパーク』も、『竹内文書』が発端となっている。この文書に影響を受けた女性ジャーナリストが、石川県のとある古墳を、モーゼが葬られた地と断定した。詳しくはこちらをご覧頂きたい。

パワースポットと化す『葦嶽山と巨石群』

70年代のオカルトブームと近年のパワースポットブーム

1970年代に興ったオカルトブームにおいて葦嶽山と巨石群は、その一端を担う存在となり、マスコミにしばしば取り上げられるようになる。また、近年盛んなパワースポット巡りのひとつとして、今も一部マニアの間で根強い人気がある。

広島県の観光サイトのページでは、神武天皇陵説とピラミッド説があると記載しており、庄原観光ナビというYouTubeチャンネルでは、葦嶽山までのルートや巨石群の回り方を解説した動画がアップされているなど、オカルト路線を生かした観光資源として活用されている。

終わりに

奇奇怪怪な話が受容された時代への憧憬を抱く軽登山

日本ピラミッドという説は、唱えられた当時であっても突拍子もない話として、一般的には信じられなかっただろう。一方で、それはそれとして面白いと、自治体も便乗し観光地化したことは特筆すべきことである。恐らく今の時代では、冷笑的に切り捨てられて終わるのがオチかもしれない。現代を生きる身からすると、当時のおおらかさが羨ましく感じる。

そういった意味では、葦嶽山と巨石群は、寛容だった時代への憧憬と古代のロマンを感じながら、往復約2時間の軽登山による疲労感で現実に返ることができるメタ的スポットといえるかもしれない。


主な参考資料

  1. 伊集院卿、大平光人“日本ピラミッド超文明“, 学習研究社, 1986年.
  2. 久米晶文“酒井勝軍「異端」の伝道者”, Gakken, 2012年.
  3. 酒井勝軍“太古日本のピラミッド”, 知玄舎, 2020年.
  4. 原田実“偽書が揺るがせた日本史”, 山川出版社, 2020年.
  5. ひろしま公式観光サイト“葦嶽山”, (アクセス日:2024年7月29日).
  6. 庄原観光ナビ“葦嶽山”, (アクセス日:2024年7月29日).

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