定山渓の河童伝説 – 観光振興から再創造された妖怪民話

『定山渓の河童伝説』とは

札幌の奥座敷に伝わる悲運の物語

定山渓の河童伝説とは、北海道札幌市の中心部から少し南に位置する、自然豊かな温泉街「定山渓温泉」に伝わる、ある妖怪に纏わる奇譚である。

明治時代、定山渓を流れる豊平川で釣りをしていた少年がいた。この豊平川は、奥底に川魚が豊富に生息していたスポットであったそうだが、1909年に銚子口発電所のダムが出来るまでは流れの早い川としても知られていた。そのような場所で釣りをしていたため、少年は突然引き込まれるように川底に沈んでいったという。これを目撃した人が即座に川をへと向かい捜索したが救出できず、その後1年経っても見つからなかった。

河童とともに消えた少年

少年の一周忌が済んだある夜、父親の夢枕に立った少年は、「女河童に気に入られて結婚した。今は妻と子供と一緒に幸せに暮らしている」と告げ、姿を消した。実はこの少年、地元では美少年として知られていたという。それもあり、河童に魅入られてしまった。
少年の一件があってから、この淵を「かっぱ淵」と呼ぶようになったことで、溺れる者はいなくなった。これが、この地に残る河童伝説の概要である。

民間伝承によくありそうな筋書だが、実はこの河童伝説、古来より伝わるものではない。この伝説は昭和の頃に創られた、新しい物語なのである。

町おこしのために創作された伝説

定山渓温泉街の成り立ち

定山渓温泉は1858年、最初にこの地で温泉を発見したとされる松浦武四郎と、その後1866年に、アイヌの人々の案内で訪れた修験僧の美泉定山によって開発され、私設の湯治場となったことが始まりとされている。定山渓の名は、礎となった美泉定山から取られている。

1880年頃の定山渓は、3軒の湯治場がある程度の辺鄙な温泉集落であったが、1909年に豊平川に水力発電所の設立、1914年には豊羽鉱山の開発などが開始され、地域は急速に開発されるようになっていった。そうした資材などや、行楽客の輸送を行うために、「定山渓鉄道株式会社」が設立される。
鉄道敷設が行われたことで、物だけでなく人の往来が増え、湯治場だった地域は徐々に温泉街へと形を変えていく。1918年には、定山渓・白石間の鉄道開通に伴い、旅館や観光施設が立ち並ぶようになる。
1923年、小樽新聞社(現在の北海道新聞社)が公募した「北海道三景」では、定山渓が選出されるほどに認知されるようになる。1929年、定山渓鉄道が電化をしたことで輸送力が向上し、温泉客は更に増加する。これが、今の「札幌の奥座敷」という地位確立に繋がっている。
戦後の高度経済成長期になると、定山渓温泉は旅館やホテルなどの施設を増設していき、行楽地として賑わいを増していく。

新たな起爆剤の模索

1964年、同じ北海道でより歴史のある登別温泉の観光協会が、当地の地獄谷から連想される「鬼」や「地獄」のイメージを前面に押し出した『登別地獄まつり』を開催し、話題となる(今も毎年8月に行われている)。
この頃の定山渓は、国道の整備・拡幅や自動車が大衆化したことで、定山渓鉄道の利用者が激減するようになり、旅行形態も転換点を迎えていた。登別の評判と、こうした事態に触発された定山渓温泉の旅館組合をはじめとする関係者らは、定山渓でも何か観光行事ができないかと、札幌出身の漫画家おおば比呂司に相談。そして発案されたのが、渓谷と豊平川から連想した「河童」であった。

観光振興策として考案された河童伝説と『かっぱ祭』

発案者のおおば比呂司は、「定山渓は渓谷であり渕であれば、河童が住んでいても不思議ではない」とし、「かっぱの一族が夏の一夜に浮かれて踊り狂うという趣向の行事は面白いではないか」とした。
このアイデアを採用し、1965年に第1回『かっぱ祭り』が定山渓温泉で開催される。作詩・山上路夫、作曲・いずみたく、歌・三沢あけみによる「定山渓かっぱ音頭」が作られ、河童に扮した1千人が音楽に合わせて町中を練り歩くなどの盛り上がりを見せた。またこのとき、豊平川でかつて人が溺れたという古老の話を基に、おおば比呂司はこの渓谷を「かっぱ淵」と命名し、その由来を創作する。これが、最初に紹介した河童伝説である。以降、定山渓は河童の町として歩んでいくこととなる。

点在する河童の銅像

温泉街を歩くと、至る所で河童の銅像と出会う。これらは第2回かっぱ祭のときに、おおば比呂司によって作られた『かっぱ大王像』を発端としている。この像を皮切りに、札幌市民から募集したアイデアをもとに、北海道内外の彫刻家たちによって制作された21もの『メルヘンかっぱ像』が、1991年までに公園や橋の上、川沿いなど各所に配置されている(全ては撮影できなかった)。

かっぱ祭の終了と『かっぽん』の誕生

河童の町として定着した定山渓温泉。一方で、当初こそ盛り上がりを見せたかっぱ祭であったが、41回目を迎えた2005年で幕を下ろした。休止の理由について定山渓観光協会は、

  • 地域住民の減少と高齢化によるイベント維持の体力的限界
  • 観光地イベントという観点から他地域と比べて見劣りする内容
  • 集客において全く無い対費用効果
  • 地域のモチベーションの低下とそれに伴うイベント内容の低調
  • 21世紀にふさわしい新たなイベントの検討

としている。
そして、新たなPR策として2012年に誕生したのが「かっぽん」である。2011年、定山渓温泉観光協会が温泉街のキャラクター案を全国で一般公募し、神奈川県川崎市の大学院生によるデザインが採用された。
2012年には、札幌市南区長から特別住民票を交付され(本名は定山河童小吉兵衛)、定山渓観光協会からは「定山渓温泉PR隊長」に任命されるなど、地域のシンボルとして活用されている。これまで、マスコットとなるキャラクターは存在してなかったこともあり、かっぽんにかかる期待は大きく、今やまちづくりにおける重要な役割を担っている。

終わりに

創作の民話から本物の民話へ

河童にまつわる伝承・伝説、それを祀る神社や有形の遺物(ミイラなど)などは、古くから全国各地に残っている。そして、水辺の妖怪(柳田邦男によれば零落した水神だという)ということで、河童に五穀豊穣や安全祈願を祈願する祭りや儀式なども多くあるなど、日本では広く親しまれている。
しかし、定山渓の河童伝説は、そうした民間伝承や信仰とは全く異なる。元々、地域に根差していたものではなく、観光振興という目的から、妖怪の民話を再創造している。そのため物語はただでは伝承されず、「消費」という宿命が課せられている。そこで地域は、祭りや銅像、マスコットなど、柔軟に形を変えながらも続けることで物語を維持してきた。こうした努力があって、定山渓の河童伝説は地域に浸透していった。

誕生から2026年で60年を超えた河童伝説。観光振興という背景を越えて、いつしか本当に伝説として独り歩きする日は来るのだろうか。もしそうなれば、その変遷こそ奇譚と言えるかもしれない。


主な参考資料

  1. 市川寛也“妖怪文化の現代的活用に関する研究:地域住民を主体とする妖怪存在の再創造の事例から”, 筑波大学博士論文, 2014年3月.
  2. 札幌市“定山渓観光魅力アップ構想(2015-2024)”, 2015年3月31日(アクセス日:2026年7月13日).
  3. 札幌市“第2次定山渓観光魅力アップ構想(2025-2034)”, 2026年3月27日(アクセス日:2026年7月13日).
  4. 朝日新聞“河童伝説(札幌市南区・定山渓)”, 2017年04月16日(アクセス日:2026年7月13日).
  5. 定山渓観光協会公式サイト”, (アクセス日:2026年7月13日).
  6. 株式会社じょうてつ“じょうてつのあゆみ”, (アクセス日:2026年7月13日).
  7. ハマノホテルズ“湯乃11 札幌の迎賓館「やすらぎ館」誕生”, (アクセス日:2026年7月13日).

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