これまで、各地で様々な写真を撮影しては記事にしてきましたが、載せていない写真も沢山あります。そこで今回は、そうしたオフショットをいくつか見ながら、その時のことをほんの少し振り返ろうと思います。なぜこんなことをするかというと、月一更新の弊サイトですが、5月分の記事が全く出来ていないためです。なので、そのお茶濁しです(撮影自体は引き続き行っております)。
タイトルのプレスクリヤン(Presque rien)とは、フランス語で「ほとんど何もない」を意味します。即ち、山なしオチなし意味なしということで、ご笑覧頂ければ幸いです。今回は、広島の葦嶽山と、タイのラームカムヘーン王碑文を撮影したときのこと。
開きかけた知覚の扉
私は、天気については「持って」いないことが多く、肝心な時に雨というケースがままある。特に山に関しては、天気予報を注意深く見て、晴れると踏んで決行したはずなのに、結果雨に見舞われるというケースが度々ある(はりつけ松跡の時は吹雪いた)。山の天気は移ろいやすいというが、そこまで移ろわれると情緒不安定かとツッコミを入れたくなる。葦嶽山の撮影当日もそんな感じであった。
前日の予報は曇りのち晴れ。当日早朝に見た雨雲レーダーも問題なさそう。よし、さっさと行って撮ろうと葦嶽山に向かったが、到着するや否や本降りの雨。またこれか、なんだよ畜生などと悪態をつきつつ、今更引き返せないので幸先悪いなと思いながら入山した。
登山中は、ざーと3~40分降っては数分止んで、また降るを繰り返す空模様。登山好きならなんてことないのかもしれないが、私は別にそういうわけではなく、むしろ普段はとてもインドア。なので、こうした状況下では肉体的・精神的に少し弱ってしまう。そんな疲弊した心身で登った先にようやく現れた巨石群は、雨に濡れた身形のせいか、それとも私の脳内麻薬のせいか、えもいわれぬ神秘さを纏って見えた。
生来はオカルトビリーバーではなく、むしろ懐疑的な方だが、弱り目のところに巨石が出てきたのが効いたのかもしれない。何なら、かつての人々が石を囲んで礼拝している光景すら浮かんでしまった。これを神秘・超常体験というのか、気の迷いというのかはわからないが、こういうのを経て考えが変わる人の気持ちが何となく理解できた気がする。
しかし、撮影が終わるころには天気はよくなり、呼応するように身も心もすっかり回復。起こしかけた意識革命は雲散霧消し、まぁそんなわけないですよねと切り替えて下山した。現在も引き続き私は、オカルトや怪奇関係に関しては懐疑的ではある。



19番目の彼女のバイタク
以前知人から、タイでのちょっとした移動なら、車や電車もアリだが、バイクタクシーがおすすめだと聞いていた。車については、特に都市部では交通渋滞が社会問題で、動けなくなることも多いから、急ぐときはおすすめしないとのこと。
今回はバンコク市内も色々見て回る予定だったので、各地をサクサク回れた方がよい。車はさておき、電車も待ち時間や最寄駅からの移動がある。ロスを無くすためにも、今回はバイクタクシーをメインに使うことにした。それに知人は、バイクタクシーはスリルがあって楽しいよとも言っていた。乗ってみればわかるという。そういうことなので、バンコクのホテルに到着後、早速市内の撮影地に向かうために、配車アプリでバイクタクシーを手配した。
首都ということもあって運転手は引く手あまた。手配はすんなりできた。ものの数分でホテルに到着した運転手と配車番号を照合後、彼は私に、後ろに乗れと合図した。言われるがまま後部座席に座りかけたところで、いや待てよと運転手に質問した。「そういえばヘルメットはある?」と。すると、「持ってない」という。「え、今からノーヘルで乗るの?」と返したが、彼はサムズアップして「大丈夫、無しで乗るやつもたくさんいる」と何食わぬ顔。少し動揺したが、彼の豪胆さというか不遜さに謎の説得力を感じてしまった私は、まぁ旅は道連れだ、信じてみるかと、改めて座席にしっかり跨った。
※タイでは2025年6月1日からヘルメット着用の罰則が強化されたとのこと。撮影はそれ以前である(以前でも駄目だが)。ちなみに、運転手は被っているが、乗客用はないケースがままある。
走り始めると、「スリルがある」の意味が分かった。これはスピードの問題ではない(若干はあるが)。交通ルールや認識などの違いから来るものだ。
日本だと割込み、すり抜け、車線変更等のルールは厳格だが、ここではスペースがあれば、構わずどんどん入っては抜けていく。歩行者優先なんてものもない。対向車線に飛び出してまで追い越しすることもよくある。しかも結構な数の人が、そうした交通事情の中を2ケツで乗り回している。日本ではお目にかかれない状況だ。しかし、彼らにとってはそれが日常。ある意味では、互いとのコミュニケーションや連携が究極に取れているとも言える。曲芸的な運転技術と、それが成立する社会にとても感心した(その後、ナシ族を尋ね中国雲南省に行った時も同様の体験をするのだが)。
さて、そんな運転に最初は面食らい、手に汗を握りながら乗車していた私だったが、何度も利用するうちに次第に慣れてしまった。何なら旅の後半は、行け行け~と思いながら乗車していた。そんな環境に順応したが故に、帰国後の数日間は、運転する度に「このスペース、割り込めるのにな」や「もう逆走して追い越してもいいかな?」などの危ない思考が思わず顔を覗かせてしまった。かつて「グランド・セフト・オート」をプレイしていた時期に、罪を犯してもゲーム同様に、車を奪えば警察から逃げ切れるんじゃないかと、倒錯した考えが出たことを少し思い出した。


ソーラー・ストライク
雨もふらず、カラッとした晴れが多いとのことで、タイには乾季の頃に訪れた。情報では旅の期間中、最高気温は30度を超えるくらい。それぐらいなら、日本でもよくあるから何とかなるかと、対策も程々に高を括って行ったことを後に悔やむことになる。
タイの都市部を除けば、地方の町中では高い建物はまず見当たらない。そのため、日差しを避けることが難しく、ダイレクトに浴びることが多い。何より、タイが乾季の時期、日本は冬であるため、暑熱順化できていない体にその日差しの威力は、もはや痛いまである。堪らず日傘を差すが、照り返しも暑い(そして撮影のときは差せない)。ちなみに帰国後に知ったのだが、タイの日差しはなんと日本の何倍も強いらしい。どおりで買ったばかりの水がすぐにお湯と化すわけだ。ちゃんとした暑さ対策をしていかなかったおかげで、地方での撮影は腕と顔がこれまでになく真っ赤となり、軽く頭痛もした。
道中で公園を見つけたので、木陰で休もうと立ち寄ると、そこには野良犬たちがぐったり。近づくと目を開けるが起き上がりはしない。彼らもこの暑さに参っているのだろう。乾季でこれなら、彼らはこの先行きていけるのかと少し心配になった。そうして酷暑での撮影を終えてバンコクに戻った後に飲んだビールは、死にかけていた身体中の色んな細胞が再活性するほどに染み渡った。



悠久の数10メートル
タイ国鉄のアユタヤ駅を降車して少し歩くと、かつての王朝繁栄を支えたチャオプラヤー川が悠然と流れるのが見えてくる。その対岸が世界遺産アユタヤ遺跡なのだが、間には橋がない。そのため有料の渡船を使う必要があるのだが、その距離は目と鼻の先。正直、観光客の足元を見ていないかと少し訝しむ。各国から観光客が訪れるアユタヤなら、観光収入で架橋ぐらいできるのではないだろうかと思ったところで、到着した船を見てその考えを改める。
その船は、5、6人程度が乗れる手作りのような小型ボートだった。更に、動力はむき出しというワイルドさ。バリバリとけたたましい音を立てている。何と味のある船なのだろう。観光客受けを狙うなら、かつての貿易船を模したデザインなど、もっとあったと思う。でもそういう感じじゃなさそう。もしかしたらこの渡船業は、世界遺産登録以前から、地元住民が地道に営んできた大切な家業で、架橋してしまうとそれが危ぶまれるのかもしれない。すぐ合理化を図るのはエコノミックアニマルの悪いとこだ。この船だから良いのだ。この船で歴史の地層に思いを馳せるのが良いのだ。聞いた訳ではないのでわからないが。


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