『継体天皇樟葉宮跡伝承地』とは
継体天皇が即位したとされる伝承地
『継体天皇樟葉宮跡伝承地』とは、大阪府枚方市の交野天神社の境内にある、末社・貴船神社が鎮座する小丘周辺のことを指す。ここはその名称の通り、継体天皇が即位した樟葉宮の跡地という伝承が残っている。

貴船神社について
貴船神社は、創建時期は不明だが、この一帯の氏神として古くから親しまれていた。しかし当地に、新たに交野天神社が建立されることとなり、そちらが氏神となった。また貴船神社は、元々は異なる場所にあったが、樟葉宮跡を記念して継体天皇を奉斎するために、現在の場所に移転されたという。



交野天神社について
交野天神社は、桓武天皇が787年に、父である光仁天皇を祀るための郊祀壇を設けたのが起源とされている。前述した通り、先に当地の氏神としては貴船神社があったが、交野天神社が建立されたことでこちらが新たに氏神となり、貴船神社は末社となった。また慶長の時代には、町村の分離とそれに伴う新たな神社の建立などの影響で、祭神の天児屋根命と菅原道真が分祀されることとなるが、1872年に再度当社に合祀された。





以上が現在一般的に知られている、各神社や伝承地の概要である。しかし最初で紹介した、貴船神社の周辺が『継体天皇樟葉宮跡伝承地』という話については、実はある政治的理由によって創られた偽の由緒だという。
創作された伝承地
社格を巡って生まれた由緒
歴史学者の馬部隆弘氏によると、継体天皇即位の跡地説は、1877年前後に楠葉村の今中五朗という人物によって創られたものだという(『由緒・偽文書と地域社会―北河内を中心に』勉誠出版、2019年)。
まず、交野天神社は1888年にこの名称に至るまでに、幾度も改称している(元交野天津神→樟葉神社→天神宮→天神社→交野天神社)。その改称に際して、交野天神社が近世から用いていた「桓武天皇が天神を祀った場」という由緒を、近隣の片埜神社が1874年に横取りして社格を上昇させた。この行為が問題の発端となった。
当然、交野天神社がある樟葉村としてそれは容認できない。その対抗策として今中五朗は、神社の由緒を桓武天皇から継体天皇に変えて、再度社格上昇を図ったという。
親しまれるように由緒のアップデートを重ねる
更に今中五郎は、軸足を移した継体天皇の新たな由緒が住民に受け入れられやすいようにと、筋書を何度も作り変えている。その影響で由緒内の樟葉宮の場所は、度々変更されている。そのため、現在伝承地とされている場所は、本来の場所を伝えたものではないという。
そもそも、交野天神社が樟葉宮の跡地であったという記録は、『五畿内志』をはじめとする史料等にはない。加えて、即位地であったことを示す、何らかの考古学的な出土品がなかったとの調査報告書が多いという。このように、正史とするにはまだ様々な検証が必要である中、継体天皇の由緒とその跡地は枚方の歴史として、次第に定着していく。
枚方の歴史となった継体天皇の由緒
「事実か否か」より「使えるか否か」
古史料には交野天神社が樟葉宮跡地であるとの記録はないと述べたが、一方で、継体天皇が楠葉のどこかで即位したこと自体は、『日本書紀』に記述されている。また交野天神社は元々、楠葉にある神社という意味で「樟葉宮」という呼び名で地域に定着していた。こうした経緯があったことが、その後の複雑な事情を生むこととなる。
述べたように、学術的には、当地が樟葉宮跡と断定するにはまだ不十分といえる状況下だが、一方で地元に興味を持ってもらう題材(郷土教育や町おこしなど)としては適している。特に行政・自治体にとっては、「事実か否か」より「使えるか否か」の方が重要度が高いことが多いという。
その結果、枚方市教育委員会が2008年に発行した小学生向けの副読本『発進!! タイムマシンひらかた号』に、『継体天皇樟葉宮跡伝承地』が枚方の歴史として掲載された。これについて馬部氏は、同市の教育委員会に勤務時、伝承地を含む冊子の歴史的内容に不適格な記述がある箇所を全て書き換えるよう要望したが、訂正されることはなかったと述べている。
筆者の卑近な経験ばかりで申し訳ないが、その一例を紹介しておく。市制六〇周年記念の一環で、枚方市教育委員会が平成二〇年(二〇〇八)に発行した小学生向けの副読本『発進!! タイムマシンひらかた号』には、アテルイの首塚や七夕伝説、そして王仁墓に関する椿井文書なども登場する。枚方市役所では、歴史的な内容の記述がある場合は、市史資料室がチェックする習わしになっていたので、筆者も立場上、この冊子について不適格な記述は全て書き換えるよう要望した。すると、編集を担当した指導主事は、「史実でなくてもいいから、子供たちが地元の歴史に関心を持つことのほうが大事」とこの冊子の編集方針を明言した。怒りは覚えたものの、正直なところをいうと驚きはあまりなかった。なぜなら、これはほんの一例で、何度も同じような苦い思いをしていたからである。チェックして、それが無視されて、市史資料室のお墨付きがついたというかたちで世に出ていく。これが繰り返されると、さすがに自身の無力さが情けなくなるとともに、こういう思いをしなくてもよいようにするためには何をすべきかと真面目に考えるようになる。その結果、偽史の研究に積極的な意義を見出すようになった。
馬部隆弘『椿井文書―日本最大級の偽文書』 (中央公論新社、2020年)
史跡や景勝地となる
1971年、『継体天皇樟葉宮跡伝承地』は大阪府指定史跡として登録される。そして伝承地を含む交野神社の境内一帯は、1984年に「枚方八景」という枚方市の景勝地のひとつに指定された。


終わりに
かくあってほしいという願いが生んだ歴史の歪み
ある種の政治的思惑をもって創作された伝承は、共同体への意識や制度の正当化を促進するのに適している。なぜなら、文化観やアイデンティティを形成する要因のひとつとなるからだ。そのため、学術的な観点からの否定は正しくとも、心情という観点からは受け入れがたいものになることもある。それが年月を経て、定着したものであれば尚更である。
『継体天皇樟葉宮跡伝承地』は、村のためを思い創作された天皇の伝承地という、日本史の特異な一ページなのかもしれない。

主な参考資料
- 馬部隆弘“由緒・偽文書と地域社会―北河内を中心に”, 勉誠出版, 2019年.
- 馬部隆弘“椿井文書―日本最大級の偽文書”, 中央公論新社, 2020年.
- OSAKAINFO“ 交野天神社”,(アクセス日:2024年8月15日).
- 大阪府神社庁第三支部“交野天神社”,(アクセス日:2024年8月15日).
- 枚方市“枚方八景 樟葉宮跡の杜”, 2022年5月19日(アクセス日:2024年8月15日).
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